第41回講習会 『歎異抄』の世界へ - 真宗(しんしゅう)安心(あんじん)の真髄(しんずい)にふれる

 こんにちは。弥生の月も早や二十四節季の啓蟄の頃となりました。まだまだ、春は名のみぞ風の寒さや…「早春賦」のまんまの季節です。皆さん如何お過ごしですか。
 最近、TVドラマや番組で心理学を扱うものが目につきます。アドラー心理学をベースの「嫌われる勇気」とか、「超能力探偵」や明石家さんまさんの「ホンマでっか」等
中々見ることはできませんが、家内や娘の録画でみる機会があります。
 そんな時、いつも思うことが、いつの時代も同じだな…と。それから、他人のことはわかるようになるかわからないが、自分のことは何にもわからんなぁと痛感します。

 お釈迦様は二千年以上前から教えてくれているし、諸仏諸菩薩は遥か遠い時代から
私がなにものか、どんなモノ柄かを教えてくれています。呼びかけてもくれています。
しかし、その呼び声に耳を傾けることもなく、足蹴にしてきた私がいます。私には足蹴にした思いもなければ、流転しているなど微塵も感じない。
 この私がお目当てで、立たずにはおれなかった方がおられる。それが法蔵菩薩様であり阿弥陀仏様です。私に届けるため、唯その為にすべてを南無阿弥陀仏にこめて下さった。お伽話が、お伽話でなくなる。理屈が理屈でなくなる。わかる。その世界が南無阿弥陀仏。
 
 今回、増井信先生の講習会をお世話させていただくスタッフの一人として、『歎異抄』を通じて南無阿弥陀仏の世界をお聞かせいただく。『歎異抄』は今回で4回目です。
特に今回は14章からと一般的には馴染みのないところです。いわんや、僕のように勉強嫌いな者にはチンプンカンプン、日頃の疲れの眠り薬、子守歌になりそうと思われます。しかし、そこは増井信先生。私のモノ柄はお見通し、先生自身も念仏に生かされ生きる身、御同行御同朋の生きざまを通してお話し頂けます。何故ならどの章から入ろうが南無阿弥陀仏に始まり南無阿弥陀仏に還る。

 締め切りは終わっているようですが、聴いてみたいあなた、一度お電話、メールにてお申込みを下さい。是非、共に一座をすごしましょう。
 わかった人も、わからん人も 南無阿弥陀仏。
 昔も、今も 南無阿弥陀仏
 いま ここ この一瞬に生きる私が聞かせてもらう 南無阿弥陀仏
                         お待ちしてます   R..T